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Channel: たんぽぽのように
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第8話

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私が育つ頃は、馬が生活のための資金源でしたから、、子馬ができると磨き、品評会に、せりに、そして軍馬にと。

品評会が近づくと父は、毎日馬を引いて運動場へ通い、お供に仁とwたしがついて行きました。

芝生の上から「それーっ、それーっ」と声を張り上げて、馬は元気よく走り、勢いあまって高い塀を越えてしまい、家に帰ってしまうこともしばしばありました。

1年前に生まれ、そして今年は売られて行きます。

毎年生まれ、育て、手入れして。

父の馬の手入れは、並の手入れではなく、手のひらに生卵を割り、馬に食べさせる。飴玉を舐めさせる。上手に手のひらから卵や飴玉を食べることのできる馬は、決まってせりや品評会で賞に入ったらしく、父は手入れしながら、この馬は賞にはいるかはいらないかわかったそうです。

私はいつも父が馬小屋に入って馬に刷毛をかけているのを見ていました。

とうねっこ(今年生まれた子馬)、二歳馬が売られていきます。

そのころの農家は、馬と一緒にひとつ屋根の下に馬の顔を見ながら住んでいました。

家族みんなで馬の背をなで、頬擦りし、ともに暮らし、馬のなき声で馬が何を欲しがるか、青のころの子供たちにはすぐにわかったものでした。

馬小屋には、大きな船(飼い葉桶)がありました。

家の中庭におおきなかまど、お湯を沸かし、朝晩馬のために、船の中にバケツで汲んで与える。飼葉を与え大きくし、運動場で走り、ある馬は軍馬に。

毎年毎年、馬との別れがあり、そのときになると皆で涙しました。

戦争が激しくなり、馬はよい値で売れるようになり、馬は私たちの生活の何よりの金の源になり、一年の生活費になりました。馬は金の成る木でした。

昭和19年の品評会には、栃木県で一等賞に「なり、千四百円ものお金と金のメダルをもらい、馬に蔵を乗せてメダルを首にかけた写真が新聞に載り大騒ぎでした。

翌朝、学校の朝礼の場で校長先生からお褒めの言葉。

「高久金太郎さんの馬が栃木県で一等賞になり、千四百円になりました。」

あのときほど、父が誇らしく感じたことはありませんでした。皆の目が私に集まり、恥ずかしくうれしく、顔を赤くしてうつむいていたのを忘れられない。

馬が賞に入ると汽車に乗せて送ってしまうまでは、気の休まることは無かったそうです。父はぼろを身にまとい、変装し、馬にはぼろ莚を掛けて汽車の来るのを待って乗せて送ったそうです。「何者かがねたみ、馬を売り物になら内容に傷をつけられたら大変」と。妬みから、馬の背中に傷を負わされたという、あちこちでそんな事件がおきていました。

幸い、私の家の馬はそういうことは起きずに済みました。父の警戒が厳重だったからかもしれません。

そんなある年の冬のことだったと思います。

私は外で遊んでいました。婆さが、家の中で米を研ぎ、夕方の支度かかっていたときの事。

一頭の若々しい毛並みのまぶしいほどの馬が、節ちゃんちの脇の坂道を私の家に向かって走って来ました。手綱も無く、たてがみを振り乱し、誰の付き添いもなくです。馬は家の中に入ると婆さの肩をくわえて引っ張ります。びっくりした婆さは、後ろを見てさらにびっくり。

大きくなった「花嵐」。去年軍馬に出した2才馬です。その馬が軍馬補充部から逃げ出して、帰って来てしまったのです。

「どうして帰って来た」

「よく道がわかったなぁ」

「軍馬は嫌なのか」

婆さの目から涙がぽろぽろとこぼれ、側で見ている私もなんだか哀しくて、可愛そうで。

家が恋しくなって飛び出してきた気持ち私にもわかりました。

「フーッフーッ」婆さに域を吹きかけ、懐かしそうに「ひひーん、ひひーん」足踏みしながら、飼葉桶に顔をすり寄せています。

「おーおー、帰ってきたのかよしよし」婆さは抱き寄せて泣いていた。生まれ育った家が恋しくて遠いところをとぼとぼと歩いてきたのでしょう。

「良く帰ってきたなぁ、えらいぞぉ」と父は、褒めながら、たてがみをとかし、母は、飼葉桶に大きなジャガイモを入れたのですが、花嵐は、涙を流しながら、首を振るだけで食べようとはしませんでした。

父に背をなでられながら、「帰ってきては駄目なんだ。お前は奥に為に捧げた身体。わかるか?わかったな!」

父の言うことがわかったのか、ただ首を右に左に振るだけでした。

そして間もなく、探しに来た郡の偉い人達に惹かれて花嵐は帰って行った。何頭もの馬を育て家から出していましたが、帰って来たのは、花嵐だけでした。

その後二度と帰ってくることはありませんでした。可愛そうな子馬たちは戦争の露と消えました。哀れな哀しい出来事でした。どんな生き物にも心があるのです。

口のきけない馬でさえも自分の育った家は恋しかったのでしょう。毎年育っては売られていった馬が、最後のどこでどんな死に方をして果てたのか。

今になって私は、心痛め想いに更けるばかりです。

その馬たちのおかげで楽な暮らしを出来たのです。あのころの農家の最大の収入源だった。

日に日に激しくなる戦争、そう戦争があったからでした。


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